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【小井出 ヒサシ】
 ■ 今日は、最初の最初から伺おうと思ってるんですけど。
ヒサシ:はい。よろしくお願いします。
 ■ 生年月日は、いつになるんでしたっけ。
ヒサシ:74年生まれです。74年の10月8日です。
 ■ ご出身は名古屋ですよね?
ヒサシ:いや、長野なんですよ。生まれたのは広島なんだけど。
 ■ へぇ、長野なんですか?
ヒサシ:実家は長野です。
 ■ あっ、そうなんですね。愛知出身ってイメージがすごくあるんですけども。
ヒサシ:ですね。まぁ、バンドとしては、名古屋から出てきたバンドだし、全然そう言われても嬉しいんだけど、個人的には。もう誰もいないみたいな。ナカヤンがいなくなっちゃたから、誰も名古屋に家ある人いないっていうか。
 ■ ああ、そうだったんだ。こんなに何度もお話してるのにね(笑)。そこから、一番昔の記憶とか辿っていくと、一番最初に覚えてることって何ですか。
ヒサシ:はね、もうあれですよ、“ポンキッキ”ですよ。
 ■ “ポンキッキ”だ(笑)。なるほど。世代的に分かる気がしますね。
ヒサシ:この前も、ちょうど、仙台のライブハウスのリレーコラムを頼まれて、いろいろ思い出して書いてたんだけど、ポンキッキの、「怪獣が町にやってくる」みたいな曲があったんですよ。暗い曲なんですけれど、もちろん曲も覚えてるし、歌ってるテープもあって、まだ1歳くらいの時の。俺がまだ学生で、実家にいた頃にそのテープがあって。一緒に歌ってるテープがあるんですよ。テレビに合わせて。それが一番古いし、未だにその曲好きなんですよね、やっぱりその雰囲気っていうか……。「あぁ、やっぱこういう趣味なんだな」みたいな(笑)。なんでこの曲が一番お気に入りだったんだろう、ちょっと暗い曲で。重たい曲なんだけど。あ……恐竜だ。「♪恐竜が町にやってきた〜」みたいな。
 ■ “ポンキッキ”ってでもそうですよね。結構良質な音楽が流れてたりとか。
ヒサシ:と思うんですけどね。その、ああいう、恐竜の歌以外でも、未だに聴くとああ良いよな、って思う曲多いし。ビートルズとかの曲も流れてたくらいですよね。
 ■ うんうん、確かに。
ヒサシ:全然ビートルズとか、わかってなかったけど……。それとかももうなんだろう、ドキドキして見てたかもしんない。その、曲が流れててすごくワクワクするっていうか。そういうのをすごくよく覚えています。
 ■ どういう子供さんだったんですか。幼少時代は。
ヒサシ:どういう子供だったかな……。まぁでも、その保育園、幼稚園とか言うのかな、保育園に行ってたときは、正確に覚えてないんだけど、写真とか見ると、一人だけ、変な格好してたりする(笑)みんなピッとこうしてなきゃいけない写真なのに、一人だけウルトラマンのポーズ取ってたりとかして、なんかポーズつけてたりとかして。何だろう、意外と、明るいとかじゃないけど、そんな大人しい子じゃなかったのかもしれない。その頃は。結構ませてたじゃないけど、変な意味じゃないけど──なんかもう、よくわかってたような感じがするんですよ。周りの状況とかを。写真とかを見ると……それ、よく覚えてるんだけど、みんなパンツ一丁かなんかで、外で踊らされるみたいなのがあったんですよ。踊りをなんか、パンツ一丁でやる、みたいなやつで(笑)。俺、それがすごい嫌で。俺だけ、ジーパンの半ズボンとランニングみたいなやつに、そこにゴレンジャーの絵が描いてあって、お気に入りのやつがあったんですよ。「絶対、それ着てやる!」みたいな感じで──。
 ■ ははは、ステージ衣装だ。(笑)
ヒサシ:そうそうそう(笑)。みんな白いパンツとか一丁なのに、俺だけキメキメで踊ってる写真があって(笑)。なんかすごく「何でパンツ一丁でやらなきゃいけねえんだ、格好悪いじゃねえか」みてえな、そういうのがもう保育園くらいの時でもうあった、っていうのは記憶してますね。
 ■ ははは(笑)。で、小学校まで行ったりするじゃないですか。やっぱり変わらずですか。
ヒサシ:でもねえ、そんなにやかましい子供じゃなかったと思うんですよ。どっちかって言うと……。まあでも、ちっちゃい学校だったから、田舎だったし。クラスも1つしかないんですよ。学年で。だからもうその中だけの世界だから、変に大人しい風でもなく本当普通だったと思うけど。多分。そんな一番大暴れしてる生徒じゃなかったと思うな。
 ■ その周りの環境ってどういう環境なんですか。クラスとか……。長野ですよね。自然があったりとかするんですか。
ヒサシ:もちろんもちろん。大自然ですよ。だいたい小学校2年から6年まで同じ担任の先生だったんですよ。ずっと変わらずで。すごいいい先生で。授業とかも、もう何かにかこつけて外に連れてってくれる先生だったんですよ。
 ■ いい先生だ。
ヒサシ:だからこういう小刀みたいなナイフ持って、みんなで山行って、こう色々作ったりみたいな授業を……もうその記憶しかない。教室で授業もやってたんだろうけど、あんまりそっちが楽しかったから、その記憶しかなくて、本当、山行って何か取ってきて作ったりとか、雪降ったら肥料袋みたいなのを、学校のやつをみんなで持ってってソリしたりとか、そういう思い出ばっかりですね。だから、「いい先生だったなぁ」っていう。スレる要素みたいのがないっていうか(笑)
 ■ 確かに(笑)。
ヒサシ:本当、全然なかったなぁ(微笑)。
 ■ なるほど。そんなすくすくと育った小井出少年がロックに目覚めるのは何歳の時ですか。
ヒサシ:ロックに目覚めるのは、本当中学入ってすぐだと思います。
 ■ きっかけは何かあったんですか。
ヒサシ:きっかけは、モロに、ブルーハーツですね。ちょうど多分デビューくらいの時が、俺が小学校終わりか中学入ってすぐくらいと重なるぐらいだったと思うんですけど、それまで、歌謡曲大好きだったんですよ。音楽が好きなんだっていうことを自覚したのもすごく早くて、小学校入ってすぐくらいには、もう自分でこういう、月に1枚くらい、小遣いとかそんな貰ってなかったから、月に1枚7インチのシングル、歌謡曲のを買ってもらったりとか、アルバムのカセットテープ買ってもらったりみたいなことって、もうずっとあって。テレビの、スピーカーにマイクつけてラジカセで録って、汚いんだけど、そうやって音楽聴いたり、色んな曲集めるのがすごい好きだったから。中学入ってすぐ、ブルーハーツをテレビで見たんですよ。もうはっきり覚えてるけど、「ジャスト・ポップ・アップ」っていうNHKの番組が始まったくらいだったと思う。中学入ったくらいから。それでブルーハーツ出てて、“リンダリンダ”を歌ってたのを見て、今まで歌謡曲しか聴いたことなかったから、すごくもうびっくりして。何て言うんだろうな、ちょっと怖かったんですよね。何だこの感覚は、と思って。その時に急に好きになった訳じゃないんだけど、もうずっと気になってて。なんか見てからちょっとしてぐらいに、友達の……一番最初のベースの奴なんですけど、一番最初のベースの奴のお兄ちゃんがもう結構年上で、ロック大好きな人がいて。その人にちゃんと聴かせてもらって、あぁ、これ、この前テレビに出てたやつだと思ってちゃんと聴いたら、もうめちゃくちゃハマっちゃって。そこからは本当にもう歌謡曲とか全然聴かなくなって、ちょうどバンドブームが始まりぐらいな時だったから、そういうのはもう、聴けるやつは何でも全部聴いてましたね。
 ■ ちょっと遡っちゃうかもしれないんですけど、小学校の時にお気に入りだった歌謡曲で印象的なのはありますか。
ヒサシ:あぁ、何だろうな……。一番最初に買ってもらったのがサザンだったんですよ。『綺麗』っていうアルバムがあるんですけど、それは単純に、親の趣味もあって買ってもらって、それを最初聴いてて……。後はもう近所のお兄ちゃんがアルフィーがすごい好きで、それもすごい好きで聴いてて。アルフィーとサザンはすごいやばかったかも。最初小学校入って1年か2年の時なんですけど。ベストテンでも“メリーアン”とかが入って来てみたいな時で。
 ■ はいはいはい(笑)。その時期ね(笑)。
ヒサシ:「アルフィー最高!」とか思ってた(笑)。そのへんと、あとは、チェッカーズもそうだし、長渕とかもそうだし、女の子のアイドルでもキョンキョンとかは持ってたし……何でも聴いたんですけどね。そのへんの、ベストテンに入ってくるのは全部好きみたいな。──何の疑いもない、みたいな感じで(笑)「あぁ、いいなあ」って。誰かの新曲が出る、っていうのが楽しみでしょうがなかった、という感じでしたね。
 ■ そっからいきなり、ブルーハーツですからね。
ヒサシ:そこはもう急に、ですね。何だこれ、と思って。今まで聴いてたのを何か急に聴かなくなっちゃったんですよね、それから。あんなに好きだったのに。
 ■ 何か思ったりしませんでした?「ブルーハーツがもう大好きだから、前の歌謡曲ちょっと聴けねえなあ」、みたいな意識ってありました?
ヒサシ:何だろう……それは、最初はそんなことなかったんだけど、本当にそっちにのめりこんじゃって、急に刺激がないように思えたんですね。
 ■ ああ、わかるわかる、よくわかります。
ヒサシ:だから、ブルーハーツが中学くらいで、学校のみんながポップスや歌謡曲を聴きだすようになってからは、もうそれが「ダサい」っていうイメージがあって、その中だったからそういうイキがりみたいなのもあって聴かなかった部分もあるけど。でもまあ今思うと、その辺のってみんなやっぱフォークだったんですよ。特に俺が聴いてた男のミュージシャンって。サザンはちょっと違うけど、アルフィーだとか、長渕さんだとか、基本的には何かもう、フォークじゃないですか。そういう静かな感じっていうのは(笑)。でも未だに好きっちゃ好きなんですよね、やっぱり。そんな感じですかね。……相当持ってたからなあ、テープとかも。
 ■ わかります、その感覚。物凄くわかります。
ヒサシ:それがねえ、もう何か、良いとこでもあるんだけど、未だに家でこう、よく、林さんとインタビューする時とかに言うかもしれないけど、作曲を家でガーっとやってると、何か暗いような曲ができて嫌だから家で作んない、みたいな話ってすると思うんだけど、何かそう染み付いてるものがどっかにあるから、家でギター弾きながら曲作るのが嫌なんですよ。(笑)こんな曲歌いたくねえよとか思って。
 ■ 長渕さんみたいになっちゃうんだ(笑)。なるほどね。わかります。
ヒサシ:あと尾崎(豊)もあったな。それはもう小学校の終わりくらいの時だけど。それも最初聴いたときに、変な感じがしたな。うちにしかレコードプレーヤーがなかったんですよ、近所で。だからみんなうちに持ち寄ってきて、みんな、LPが欲しくて買うんだけど、それを聴くものがなくて、うちに持ってきてテープにダビングするんですよ。それでめちゃくちゃ色々聴いたんですよ。
 ■ なるほどね。
ヒサシ:尾崎も、なんか多分『回帰線』だったと思うんだけど、何か地面に這いつくばったようなジャケットで、「怖い!」「何だこの人!」と思ったのをすごい良く覚えてる。聴いてもなんか叫んでるし(笑)、その時はさっぱり訳がわかんなくて。すごい覚えてる。なんか大人の音楽に聴こえたもん。小学生だったからか。
 ■ 小学生で、尾崎聴いてもね(笑)
ヒサシ:「何だこのジャケット、怖えー!」と思って。
 ■ わかんないですよね。
ヒサシ:全然意味わかんない(笑)。何で這いつくばってんだ、この人って。
 ■ で、さっきおっしゃってましたけど、ブルーハーツ以降のバンドブームってのがあったじゃないですか。ブルーハーツを筆頭として、ラフィンノーズだったりとか。色々出てきましたよね。もうどっぷりそっちの世界に入っちゃった訳ですか。
ヒサシ:もうどっぷりですよ。全部聴いてた。特にやっぱブルーハーツとラフィンは本当大好きだったけど、その辺の時にいたバンドは、あんまりパンクじゃない感じのも全部、誰か持ってる奴がいたら絶対借りて、もうダビングしてテープに録るみたいのが好きだったから、何でも聴いてました。
 ■ 時代的に言うと、雑誌の「宝島」とか買いつつ。
ヒサシ:めちゃくちゃ買ってましたよ。


 ■ その後どういう進化を続けていくんですか。洋楽は?
ヒサシ:ああ、でもそれは本当、高校出てからですね。高校の時は、中学の時は、本当に洋楽って言っても知ってるのってピストルズと、ストレイキャッツと、あとハノイ・ロックスくらいしかなくて。ピストルズもその時そんなに好きじゃなくて。最初、俺には駄目だったんですよ。ストレイキャッツとハノイ・ロックスはめちゃくちゃ好きで。洋楽で。でもそん時はそんなにはまってなかったんだよな。中学の時はまだ洋楽って言っても何かもうハードロック、ジャパメタとか、その洋楽でもボン・ジョヴィとかばっかりみんな聴いてて、それが大嫌いで、洋楽は俺全然肌に合わないと思って。
 ■ そうなんだ(笑)。あぁ、L.A.メタル全盛期だったからね(笑)。
ヒサシ:そんな感じだったから。本当に初めて、自分で好きになったのってクラッシュだったから。洋楽で。それでも高校入ってからなんですよね。それまでは洋楽って合わないと思ってて。洋楽ってハードロックが全てだと思ってたから。聴いてられなかったんですよ。何だかわかんないけど。でもそれも、そっからも別にそんなに広がった訳じゃなくって、高校の時って。とにかくクラッシュは大好きで聴いてたけど。でもそれでも『ロンドン・コーリング』までだったし。『ロンドン・コーリング』までを本当死ぬほど聴いて。後は本当、ストレイキャッツとハノイと。洋楽はそれぐらいしか聴いてなかったかな、多分。
 ■ ハノイってでも、僕も大好きだけど、でもある意味LAメタル一派っちゃ一派だったじゃないですか。
ヒサシ:俺にはなんか、パンクに聴こえたんですよね。すごく。何か、すごい好きだったんだよなあ。『燃えるロンドンナイト』っていうライブ盤があって、そればっかり聴いてたもん。ずーっと。それとあと1stがめちゃくちゃ好きで。その辺くらいかなあ。もう本当に、レコード屋がなかったから、そのベースの奴の兄ちゃんが好きで聴いてるやつしか情報がないっていうか。だから、あとトムウェイツもあったな。
 ■ いきなり渋いですね。(笑)
ヒサシ:それも、俺には何か同じジャンルに聴こえてた。クラッシュも、ハノイも、トムウェイツも。洋楽って言う。洋楽でも、「ハードロック以外」っていう(笑)。で、こっちが好きだっていうのはわかってて。友達の兄ちゃんが聴いてるのは、未だにそう思うけど、趣味が合ったっていうか。センス良かったし。聴いてるやつは、借りて聴くとおぉ、カッコイイ、っていう。本当に、その人がいなかったら何にも知らないで過ごしてたかなって。周りとかも、同い年でそういうの聴いてるのって、本当に町中でも俺と、ダイジと、最初にいたベースと、ギターの奴だけなんじゃないかって思うくらいに、みんなビジュアル系とか、ハードロックみたいのばっかり聴いてたから。中学出るまでは本当に。高校出たら多少、他の高校にもパンクな奴がいたりとかして、知り合いになった奴とかいたけど。マイナーリーグのボーカルの大工原君ているんだけど、あいつとか高校が近くで。
 ■ あっ、そうなんですか。
ヒサシ:あいつもパンクバンドやってて。よく、何かそういう、ライブやる場所ないから、ティーンズ・フェスティバルみたいなコンテストがあるとみんな絶対出てくるんですよ。ライブやりたいから(笑)。別にそこで勝ってどうこうしたいとかじゃないんだけど、ライブやりたいからみんな絶対出てきて、よくあの子たちがやってたパンクバンドと一緒になって、それぐらい趣味が合うなあと思った奴いなかったから、ちょっと喋ったりとか。そんなめちゃくちゃ仲良かった訳じゃないけど。ちょっと喋ったりとかの繋がりがちょっと出来たりくらいの感じでした。
 ■ ギターを手に入れたのは何歳の時ですか?
ヒサシ:中2です。そっから全然勉強しなくなっちゃった(笑)。
 ■ おっ(笑)、それまではしてたんですか。
ヒサシ:めちゃくちゃしてた!好きだったんですよ。別に。全然。数学とかもう大好きで。夜、昔から夜更かしだったんですよ。「授業中寝てるんだけど、テストは100点」みたいな奴だったから(笑)
 ■ 格好良いじゃないすか(笑)。
ヒサシ:すごい嫌な感じだった(笑)。半年先くらいまで、自分でやっちゃってました。だからもう授業とかもあんま聞く意味ないというか。もう知ってる、わかってるみたいな。嫌ぁな感じだったけど、ギター買ってから全然やんなくなっちゃった。
 ■ ギター持ってますか?今。
ヒサシ:そのギター?
 ■ うん。
ヒサシ:ああー……。多分家にあると思うけどなあ、実家に。
 ■ 本当ですか。エレキですか。
ヒサシ:エレキ。エレキの、訳のわからない、変な緑色したみたいなストラト。何であのギターにしたのかいまだに全然わかんないんだけど(笑)。ちっちゃいアンプとセットで安かったと思うんですよ。それを親父が買ってくれて。その後高校入ってから、自分でもリッケンバッカー買うんですけど。
 ■ おお、凄い。
ヒサシ:でもそれは、本当のリッケンじゃなくて、あの形なんだけど、ちょっとニセモノみたいな奴を安く買って、みたいのはあったけど。最初のギター、すごかったなあ。ペグとかも金色だったもん(笑)。
 ■ そうなんだ。緑だしね(笑)。
ヒサシ:すごかった。嬉しくて嬉しくて。毎日ずっと本当、弾いてましたね。
 ■ 弾きまくりますよね。
ヒサシ:やってたなあ。でもコピーとか苦手だったから、結局、1曲通して弾けるようになった曲ってほとんどなくて。だから最初から、変なコード探してましたね。「あぁ、これいいなぁ」ビローン、みたいなことばっかやってたような気がする。ちょっとラフィンをコピーして、教本みたいのが買った時に付いてて、そこに何かアルバート・キングのフレーズがあって、今でもそれだけは弾けるんだけど。その教則テープと、それを聴きながら、そのアルバート・キングのフレーズを練習したのだけは覚えてるけど。後は何か、コピーがすごい苦手で。適当なことばっかりやってましたね。
 ■ 常に触ってる感じなんですかね。
ヒサシ:やってるのは、弾くのは楽しくってやってたんだけど、どうしても、バレーコードのAから「ジャーン」ってやって──そのジャーンは「キスして欲しい」なんだけどさ(笑)、ジャーンってやって、移動出来ないっていうか(笑)。「ジャーン、1234」の間に違うコードまで行けないから。
 ■ ははは、一生懸命。
ヒサシ:全然上手くなんなかったですね。
 ■ バンドはいくつの時からですか。
ヒサシ:バンドは、高校入ってすぐですね。俺が組んだバンドじゃなくて、ダイジと、最初のメンバーだったベースとギターがいるんだけど、そのベースとギターの奴が組んだバンドで。で、ダイジは一応、ドラムセットないけどドラム、ってことでいて(笑)。最初、変なボーカルの奴がそこにいたんだけど、何か、「受験勉強があるからやめる」みたいな話になって。「高校1年生からそんな話かよ!」みたいな(笑)。で、じゃあ俺がやる、って言って入ったんですけど。もうオリジナルの曲を作って──すんごいのがあるんだけど。未だによくツアー中、機材車の中で聴くんだけど、むちゃくちゃ面白いデモテープがあって。基本、ギターとベースだけなんですよ。ドラムセットまだないから(笑)。ギターとベースだけでジャーってやってた、家でラジカセで録ったようなデモテープがあるんだけど(爆笑)。それ聴いて、何でそう思ったかわかんないけど「かっこいい!」と思って(笑)
 ■ ぶはははは(笑)!いやいや、大事なポイントだよねぇ、それは。あるある!
ヒサシ:それで、「これは俺がやるしかねぇ!」、と思って俺が入って。高校入って、それで夏くらいには……もう夏くらいにはもうライブやってたからな。
 ■ 早いですね。デモテープもあり(笑)。
ヒサシ:未だにあれは宝物ですね。
 ■ ──何て言う曲のタイトルなんですか、ちなみに。
ヒサシ:──もう、色々ありますよ……(小声で)“ロックンロール・ライオット”とか。あと……面白いの何だったっけ。
 ■ ははは、何曲かあるんだ(笑)。
ヒサシ:もういっぱい、8曲くらいあります。まあ表題曲は“ロックンロール・ライオット”なんですけど(笑)。
 ■ “ロックンロール・ライオット”、タイトル曲は(笑) かっこいい。
ヒサシ:カセットテープに「It's punk rock」って書いてあるから(笑)!これがパンク・ロックなんだ!と思ったから。
 ■ 自分たちなりにね。わかるなぁ、その感覚。でも、正しいよね。
ヒサシ:そうそうそう。めちゃくちゃ面白いですよ、それ。いつか絶対CDにしてやろうと思ってましたから。
 ■ わかるなあ、それ。わかるなあ、その感じ。
ヒサシ:いつか絶対発売してやろうと思ってました。めちゃくちゃ面白い。
 ■ ダイジさんは叩いてるんですか?それからは。
ヒサシ:うーん、デモテープ以降は、でも1年の時に、そうですね、結構すぐ買うんですよ。ああいう雑誌とかの後ろに、通販でよくあるじゃないですか。「Student Beat」っていうメーカーだったんですけど。まさにスチューデント・ビートって感じだったから(笑)。それ買って、ギターの奴の家で、ほとんど毎日練習してましたね。家でやれたんですよ。
 ■ 自宅でバンド練習ですか(笑)。すげぇ。
ヒサシ:自宅で、何か結構広い部屋があって、そこにドラムセット組んで、アンプも鳴らして爆音で練習。むちゃくちゃ近所迷惑。毎日やってましたよ。学校が終わると。みんな学校別々だったから、高校は。集合して。やってました。
 ■ それ以降ライブはあったりしたんですか。
ヒサシ:まあライブって言っても、そういうのしかないんですよ。何かコンクール的な、コンテスト的なのしかやる場所がなくて、後は、友達のバンドとかと場所借りて、近くの楽器屋でPAとかも借りてきて、自分たちでやってやるみたいなライブが何本かあったくらいで。だから本当、一応そういう活動はしてたんだけど、本格的な活動は、高校出るまでしてなくて。ライブハウスにも全然出たことなかったし。ただ本当に「わーっ」てやって、毎日集まってやるのが楽しかった、みたいな感じだったけど、なぜかいけると思ってましたから。めちゃくちゃ自信満々だったな。アホかっていう。
 ■ コンテストとかどうだったんですか。結果というか。
ヒサシ:いやでも、俺ら、3年の時はヤマハのコンテストに出て、その頃ミュージッククエストって言ったんですけど、それの地区大会で優勝しちゃって。
 ■ あ、すごい。
ヒサシ:神奈川かどっかの、湘南が近かったと思うんだけど、スタジオでレコーディングして、オムニバスみたいなやつに入ってるんですよ。そん時は名前はジェリーリーじゃないけど。“ノイローゼ”って曲でした(笑)
 ■ すげえ(笑)、そのタイトル。
ヒサシ:“ノイローゼ”って曲で地区大会優勝しちゃったから(笑)
 ■ すげえ、かっこいい(笑)。バンド、 多かったですよね、バンドブームもあったし。
ヒサシ:と思いますよ。みんなBOOWYみたいなバンドばっかりだったし。BOOWYか、パンク、ほんとちょっとしかなかったかな。
 ■ そうですね、BOOWY全盛期ですね。
ヒサシ:何かねえ、俺らのとこはもう、メタルみたいのか、後はちょっとビジュアルチックな……うーん、何か、BOOWY的なのが多かったかな。
 ■ で、高校を出る訳じゃないですか。進学とか考えたんですか。
ヒサシ:最初は、何となくは考えてたけど、もうバンドやる気でいたから。何か、専門学校に行こうと思って、願書みたいなのを一応書いたんですよ。でも結局、出さなくて。「ああもういいや」、「めんどくせえ」、と思って。それでダイジはもう、もう一緒に名古屋出てこうっていうのを決めてて。何で名古屋にしたのか未だによくわかんないけども(笑)。でもギターの奴は、もう名古屋に就職決めてたんですよ。それもあったし、何かでも、初めから東京行く気はなくて、就職も決まってたし、関西のバンドの方が好きなバンド多かったから。でも関西つっても名古屋だから。本当は大阪行きたかったんだけど、名古屋はもう本当、スタークラブとブランキーが、っていうので、でELLでやりたいっていうのがあって。本当はブランキーはELLのバンドじゃないけどさ。スタークラブは本当ELLのバンドだけど。それで、名古屋に行ってみました。俺、自分で、ブランキー初めて聴いた時の事をすごく覚えてるんだけど、雑誌か何かで写真見て、かっこいい、と思ってCD買ったんですよ。
 ■ いきなり。
ヒサシ:いきなり。したらめちゃくちゃ好きになって、で、メンバーに持ってったら、他のメンバーは「イカ天」見てたらしくて、全然よくわかんない、みたいなこと最初言ってたんだけど、結局は何かみんな好きになって。高校の時はブランキーめちゃくちゃ聴いてたな。もう本当に、アイドル。


 ■ 名古屋に出てったってのは面白い話ですよね。ギターの方が就職決まってたとは言え。なぜ東京じゃなかったんですか。
ヒサシ:何か……結構、俺ら住んでるとこって東京に近いから、結構みんな出てくんですよね。一度は。もちろん残る人もたくさんいるんだけど。就職、進学する人は大体東京に出てくから。全然知らないとこでやりたいっていうのは、すごいあったんですよ。ライブとかやっても友達が来ないような状況からやりたかったってのを、思ってたのは覚えてますけど。
 ■ で、名古屋に移住する訳じゃないですか。最初はどんな暮らしをされてたんですか。
ヒサシ:最初はもう本当に、ただ毎日、働いて、疲れて、寝るだけの生活で、最初の1年くらいは何もできなくて。もう精神的にも相当参ってて(笑)。もうその、生活してくだけで。最初の1年は全然何もなかったんだけど。スタジオ入ってて、そこに貼ってあったチラシで、いろんなバンド、なんかイベントに出るバンドを募集してるのがあって、それに出てからだんだん友達が出来るようになって。本当に初めてできた友達が、ナカヤンがやってた“ディッセンバーズ”ってバンドだったんですよ。そのボーカルの子が、俺らのライブを……屋外でやってて、そのイベント自体が。セントラルパークのテレビ塔の下とかでやってるライブを、ナカヤンのバンドのボーカルの子が見てて、ナカヤンも、その時多分一緒に見てたと思うんですけど、見た後に話しかけてきてくれて。俺らも自分らでやってるから一緒にやろう、っ言ってくれて、それで初めて友達ができて。そのくらいからやっとまともにバンド活動をやるようになったって言うか。当時、既にナカヤンのバンドはELLでワンマンできるくらいのバンドで。
 ■ えー、そうなんですか。
ヒサシ:うん、すごい人気あるバンドで、初めてELLに、ワンマンだったんだけど見にいったらめちゃくちゃかっこよくて。それがやっぱ一番最初の、嬉しい衝撃っていうか、ああこういうかっこいいバンドってやっぱいるんだと思って。それまで出てたイベントって、全然かっこいいバンドがいなくて、ただライブやりたいからやってただけで、結局最後に、俺、何かでもめて、楽屋で大暴れして、それから2度と出なくなったんだけど(笑)。「クソイベント!」とかって(笑)。
 ■ それが1年後ですよね、ほぼ。
ヒサシ:大体1年後くらいだったと思うんだけど。
 ■ それからどう歯車が変わっていったんですか。
ヒサシ:そうですね、最初でも……とにかくデモテープを作ろうみたいなことになって、その……ジュンて言うんですけど、ナカヤンのバンドのボーカルの子が。そいつが、「とにかくデモテープ作って、早くELL出なよ」とか言ってくれて。その4人で……ギターの奴が調べてきたと思うんだけど、スタジオ調べてきて、そこでレコーディングして、4曲入りくらいのテープ作って、持ってって。一応、オーディションライブみたいなのを1回やって、で、レギュラーになって、みたいな感じ。で、そん時にはねえ、ちょうどあゆ子も入るくらいなんですよ。あゆ子は、1年後くらいに大学で出てきてるから。だからちょうど歯車回り出したくらいに、あゆ子ももう名古屋に出てきてて。最初はメンバーじゃなかったんだけど、俺がどうしても鍵盤欲しくて。「やってくれ」っつって。……「やってくれ」って言っても、まぁ、あの人は全然乗り気じゃなかったけど(笑)
 ■ あっ、そうなんですか(笑)。
ヒサシ:全くやる気なかったけどね(笑)。俺が、もう無理矢理言って。だからそん時は、多分5人でやってた気がします。俺はまだギター持ってなくて、ギターの奴がいて、ハンドマイクで歌ってて。でも、レギュラーになってすぐに、ギターの奴にライブをいきなりブッチされて。レギュラーになって1発目じゃないかな。やっと毎月ELLでやれるぞってなったらいきなりギターがやめて。
 ■ そこで、ギターを持つようになったの。
ヒサシ:それくらいからですよ。まともにギター練習したの。それまではもう、弾けないっていうのがあったから。弾くの楽しいんだけど、曲作る時くらいしか。スタジオでは持ってたけど、ライブとかでは全然持ってやる気なかったから。たまに持ってやったりすると不評で──暴れないから、俺が(笑)。「いつも大暴れしてるのに、ギター持ってない方がいいんじゃない?」みたいな感じだったから(笑)。
 ■ そっからそのELLのレギュラーが決まるじゃないですか。ライブをやり続けていく中で、ナカヤンさんはどうして入る形になったんですか。
ヒサシ:それもギターがやめて結構すぐのことなんだけど、ベースがやめるってことになって。もう俺の中では、まあもうダメ元で、(笑)友達のバンドなのにね、すんごい誘いづらかったけど、でも1回入ってほしいから、ちょっと言ってみるしかないなぁと思って。「ナカヤン、ちょっとやってくんない?」って言ったら、ナカヤンもうノリノリで、そん時、ディセンバーズが色々あったらしくて。ナカヤンはその前からやめたいと思ってたらしく、俺が話したら、もう全然乗り気で。だから、その後ディセンバーズはそのまま解散して、で、うちにナカヤンが入ったみたいな感じになって。
 ■ ああ、そうなんですね。
ヒサシ:で、俺らをイベントに誘ってくれたジュンもすぐ東京出てっちゃったし。だから早くちょっと……そのぐらいからもう、俺らも早く東京行きてえなあみたいな(笑)のはありつつやってたかもしんない。
 ■ それが、2年目ですか?
ヒサシ:2年……そうですね、2年くらいだったような気がするんですけどね。
 ■ そっからの展開はどんな感じだったんですか?
ヒサシ:そん時もう、ジェリーリーとしての、みんなが知ってるジェリーリーの、最初の4人だったんだけど、ライブはもう毎週のようにやってたから。でも、お客が全然入んなくて、最初の頃。もうそれ、どのくらいだろう、1年くらいやってて。野外でよくやってたから、俺らがやると、人は集まるんですよ。だけどそのお客さんを、なかなかライブハウスに呼べなくて。ELLの店長のシゲさんに「お前ら、もうちょっと気合入れてチケット売ってこいよ!来月ワンマンやれ!」とか急に言われて(笑)「ええー!?」とか思って、「絶対無理だよ」とかって。で、まあ頑張ってチケット売ったんだけど、手売りで50くらい売ったのかな?だけど、当日、それまで毎月10枚くらいしかチケットが売れないみたいな感じでやってたのに、初めてワンマンやって、90人くらい入ったんですね。そこそこ形になって。本当、何かそれから急に毎月お客さんが入るようになって。不思議だけど、そっからはもう本当、コンスタントに。最後の方ずっとワンマンやってたからね。毎月ワンマン、みたいな。名古屋いた時は。対バンも何かそのくらいから、たまにはあったけど、ELLでやる時はほとんどワンマンでやってて。そのくらいから、まあ色んな、メジャーレーベルの新人発掘みたいなライブとかに、誘わるようになって出たりとかはしてて。
 ■ ツアーとかはやらなかったんですか。
ヒサシ:ツアーは全くやれなかったですね。初めてツアーしたのはデビューしてからですもん。で、その頃は俺も名古屋に4年くらいいて、であゆ子も、来年大学卒業だから、来年までにレコード出せなかったら、もう終わりだ、やめよう、って思ってみんなで話したんですよ。それをよく覚えてて。そう思ってたら急に、色んなデビューの話来て。最初の、俺らを拾ってくれた、当時ソニーにいたボスがいるんですけど、その人が「やろう」って言ってくれて。1枚名古屋でアルバムを出すんですけど。名古屋でインディでアルバム出せて。で、デビューが決まって、東京行くんですけどね。
 ■ それがあれなのかな、今貴重盤みたいになってる奴。
ヒサシ:あ、そうです。『ORANGE MICRO COSM.』っていうアルバム出すんですけれども。それは……俺はもう自分では聴けないけど、ずっと最初の頃応援してくれてた子がすごい気に入ってくれて、良かったですよね。
 ■ で、もう一気に、メジャーデビューですよね。
ヒサシ:そうですね。一番煮詰まってましたけどね(笑)全く、曲が書けなくなってて、ちょうどその頃、レディオ・ヘッドが……『ORANGE MICRO COSM.』出して1年も経たないうちに、東京に出て来るんですけど、1stの曲作ってる時に、ちょうどレディオヘッドの『OK,コンピューター』にめちゃくちゃはまって聴いてて。もう何か、いきなり全部つまんなく思えちゃったんですよね、自分のやってる曲とかが。そん時ってまだ、家で俺が曲を作って、何となくメロディ作って、スタジオに持ってって、みんなでやるみたいな感じでやってたんだけど、そういう作り方してるのにも関わらず、レディオヘッド的なことにしようと思って、歪みがあったんですよ。曲の作り方に。無理矢理、何か変なことしようとして、全部の曲が嫌になって、変な風にアレンジして。ちょっとまだ、楽曲的にも曲自体に基礎体力みたいのがないのにいじくるもんだから、もうどうしようもないことになって。そういう時期でしたね。ちょうどバンドが本当、煮詰まってたな。
 ■ 何だろう、産みの苦しみじゃないけど、こう。方向性がね。
ヒサシ:何をやりたいのかわかんなくなっちゃうんですよ。その前に、いい時が一瞬あって、名古屋で。その、お客さんが増えた時とすごいリンクしてるんだけど、デモテープ3本くらい名古屋で出してるんだけど、それとか本当、手売りだけで4,500本売ってて。
 ■ すごい。
ヒサシ:でもそれ、今、聴いたら「こんなもんかな」って思うけど、何かちょっと、一瞬見えたなって思う瞬間があったんだけど──まだ自分では、何か良くわかってなかったんですよ。感覚として何か掴めたような感じがあったけど。本当に色んな音楽がすぐタワーレコードとかにあって、色々聴けるようになったのって高校出てからだから、自分の中ではそういう、蓄積みたいなものがすごく浅かったし、自分が何か──感じはあるんだけどそれが何なのかよくわからないっていうのが続いてた時期だったんですよね。そういう時にデビューが決まっちゃったから、とりあえず東京出てってやるんだけど、何がしてえのか全然わかんねえ、とか思って。とにかくよく、「ウワーッ」てなったことだけは覚えてますね。当時。
 ■ 傍から見てたら、すごいラッキーボーイに近い、ですよね。いきなりデビューして、東京に行ってるのにね。
ヒサシ:ね。うん、でも、ライブだと思う、やっぱ。みんな、ライブを気に入ってくれてたから。ライブは、“何か”があった、とは、今、見ても自分で思うもん。「何か変な事やろうとしてんな」、「何かもがいてるな」、っていう、そういうことだけはわかるライブをしてたと思うから。だから、それがなかったら本当にただの訳のわからないバンドだったから。「何で3拍子の曲で、こいつめちゃくちゃ暴れてるんだ」、みたいな(笑)「おかしなバンドだぜ、これ」って。
 ■ (笑)でもメジャーのリリースとなるとね。
ヒサシ:ですね。でも、本当に書けなかったな。全然書けなかった。
 ■ そういう苦悩の時期はどこまで続くんですか。
ヒサシ:でも、意外にすぐ、デビューしてから初めてすごいツアーを回るんですけど。ライブを、今までももちろん結構やってたけど、毎日あるようなライブって初めての経験だったから。やりたい方向性が、まだ、その時も感覚でなんだけど、わかってきたというか。ああ、これじゃ乗れねえんだなっていうのがすごいわかって。「これで俺は暴れてるけど、これじゃあ、みんなは踊れねえんだ」っていうのをすごい肌で感じて。そういう曲、ライブでやって、みんなとワーッと楽しめる曲が欲しいっていうのは、すごく自覚的にやってたんですよ。その当時から。で、1st出してツアー回って、戻って来て。でもシングルの発売がもう決まってたんですよ、次の。で、その曲作りの期間が──5日しかなかったんですよ。
 ■ すげえ(笑)
ヒサシ:ツアーから帰って来て──何にも曲のネタないし、スタジオ入って、みんなでやってみるしかないなということで、入ったら一気に5曲くらい出来て。
 ■ あっ、素晴らしい。
ヒサシ:そん時から、みんなでセッションしながら作曲をやるようになって。その、家で作って持ってくってことを、そん時からもうやめたんですよ。この方がいいやと思って。このくらいから何かちょっとづつ見えて来たっていうのは、あります。その時にもう“PUNK THE DISCO”とか出来てるから、もう既に。まだその時には、俺たちその感じを突き詰めていくとか思ってなかったけど、未だにライブでもやっている何曲かって、その時のセッションで出来たから。
 ■ ああ、そうなんですか。やっぱりツアーを回ったことによって、大きな広がりがあったと。
ヒサシ:ですね。
 ■ 意識としてはどうですか?例えば、一人で作られてた中で、メンバーとみんなで一緒に作ろうと思われたところの、意識の違いってどうだったんですか。
ヒサシ:メンバーと?なんだろう。まぁ、でも、とにかくやるしかなかったから(笑)。みんな、それ所じゃなかったみたい。みんな必死だったからな。本当に。必死でやってたなっていうのしか、覚えてないけど。
 ■ どんなリハだったんですか。
ヒサシ:合宿だったんです。24時間、いつでもリハに入れるから、ずっと朝から晩までやって、終わったら、泊まる部屋があるんですけど、上に。そこで、朝まで歌詞書いて。で、昼くらいに起きてまたやる、みたいな感じで、5曲くらい出来て。みたいな感じだったかな。まあでもそういう感じはもう、どのくらいまでかな。“Freedom”が出来るまでは、そういう形でずっとやってました。
 ■ ああ、合宿して。
ヒサシ:で、“Freedom”でやめたんです。その時は、合宿に行って、俺とダイジ2人でベーシックを作って、みたいな形でやって、その後4人でセッションするみたいな風にやってたんだけども、俺と、ダイジで2人で行って、2週間押さえてもらって、何にも出来なかったんですよ。で、“Freedom”だけできて。2週間、それも最後の日に、「あぁ、もう1曲も出来てないのはやばいなぁ」と思って(笑)。「んー、──これでいっか」みたいな。
 ■ (笑)そのお話、以前言ってましたよね。
ヒサシ:すんごい軽くね、あんな大事な曲なのに(笑)。もう、俺のお得意のコード進行で、ワーってやって、「ダイジ、どう思う?」とか言って、「まぁ、いいんじゃない」とか言ってて(笑)。それしか出来なくて、結局。それでもう、やめて。今思うとね、それが何か、その辺の曲とかって、始まりではあったんだけど。
 ■ うん、確かに。
ヒサシ:そん時は、煮詰まってたなあって。
 ■ ヒサシさんとお話させてもらうのは、僕は“This boring rock”“Freedom”以降なんですよね。そのあたりは大きな変化ですよね。
ヒサシ:何だろうね。やっとその辺で意識的になったの。やっぱ、林さんとかと会ってくらいの時にやっと初めて、その“This boring rock”とか、意識的だったんですよ。そういう、ちょっと四つ打ちの曲をやろうとして。たまたま出来た曲じゃないから。もう前のアルバムで何曲かそういう……その前に“Punk the disco”とかもあったけど、この感じで本当に俺、「あっ、踊りたいんだ」っていう──言葉に気付くのに、もう何年もかかったみたいな感じだから、名古屋の時の活動も含めて。それまでただ暴れて、「どうしたいんだ、この気持ち」、みたいな。「この気持ち俺はどうしたらいいのかわからない」、みたいな感じだったのが、「あっ、踊ればいいのか」と思って(笑)。それに気付くのに、本当に何年もかかってるから。やっとその辺から、そういうことになり始めて。
 ■ 何ででも最初に“四つ打ち”と思ったんですか。
ヒサシ:うーん。でもそれは本当に、自然だったんですよね。「こういう曲があって、聴いたからどう」ってことじゃなくて、その、最初“Punk the disco”って曲が出来た時もそうだったんだけど、たまたま、パン、て出来たら、あぁ、これ、クラッシュだな、と思って。でもただ、クラッシュのパクリに聴こえなかったっていうか、すごく自分達らしい曲に聴こえたんですよね。その感じがあって。で、次のアルバムも、自然にそういう曲が何曲か入ってて。四つ打ちは、アレンジしていく中で、あぁ、結局、このビートがしっくり来るなっていうところで何曲かあって。この感じでもっとやればいいじゃん、と思って、開き直れたのが、そのくらいだったと思うんですよ。で、そのぐらいから多分、ハウスとかも聴き出したと思うんですよ。
 ■ ああ、なるほどね。
ヒサシ:ああ、こういう感じをもっと取り入れればいいのか、っていうとこと、自分らがやってきたことがすごいリンクしたと言うか。で、クラッシュも、その辺からまたすごい聴くようになったし。それまでも、聴いてはいたんですけど。ただ、その、やっぱり『サンディニスタ!』だったりとかっていうのに、はまり出したのもそのくらいだったと思うし。それまでは『ロンドン・コーリング』がすごく俺の中では大きかったし。もう1stと『ロンドン・コーリング』だったから、俺の中でクラッシュは。でも『サンディニスタ!』だったり、その後の『コンバット・ロック』、ああいう“ロック・ザ・カスバ”的な事だと思うんだけど、そういう感じとかも、初めて自分の中で、本当の格好良さがわかるようになって来たっていうか。こういう事やろうっていうか、「似てる」と思ったんですよ。その流れの中で。だから、元々、好きだったけど、いつもお手本にしてた部分はやっぱあるけど、流れとして似てるって感じて。クラッシュも色んな事をやろうとして、結局はダンスミュージックなんだな、って所を気付けたのがでかかった。
 ■ うん。あの、身体をもって体感できたイメージがないですか。初期の、本当にド初期のパンクサウンドから、ああいう風に、ダンスミュージックに移行していく中で、確かに移行の仕方っていうのはすごく、「この時期に煮詰まってたんだろうなあ」みたいな部分が見えたりとか。
ヒサシ:うん、そうですね。本当──よくやってたよな(笑)。
 ■ クラッシュの初期が好きだった頃って、何かいまいち見過ごしがちじゃないですか。「パンクだと思ってんのに、何でこんな事やってたんだろう」とか思ったりもするんですけど、その移行の仕方がすごく似てる気がします。
ヒサシ:だから、それに気付いちゃってからは本当に楽だった。「さぁ、踊れる曲を作るんだ!」って言う。それを考えてるだけだから。で、多分ね、その辺から、“This boring rock”前後くらいからDJも始めてるんですよ、確か。その前の『This is the JERRY LEE PHANTOM』ってアルバムがあるんだけど、そのぐらいだもんね、ラジオでマエさんとかと一緒にやってたの。そん時、ちょうどフラカンのマエさんと、一緒にラジオ番組をやってたんですよ。で、マエさんに、「今度、年末にイベントあるから、ヒサシDJやれ」とか言われて。それまでやったことなくて。で、じゃあやってみようと思って──誘ってくれたから(笑)。そのくらいからDJもやり出すようになって。それでまた、ちょっと変わってきたって言うか。音楽をまたすごい買うようになって、聴くようになったし。探しに行くのが楽しくなって。本当に、マエさんに、めちゃくちゃそういうので感謝してるんだけど。またそこで、自分の中で、それが楽しく出来たから。何か聴かなきゃいけない、とかじゃなくて本当に、楽しく。
 ■ 自らね。
ヒサシ:そうそうそう。未だにそれ続いてるし、もうとにかく楽しんでる。レコード探しにCD屋に行くのが今でも、もう、毎日のように時間があれば行くし。だから、やっとなんか、まぁ、名古屋に出て来た時も一度そういう時期があったと思うんだけど、東京出て来て、もう1個何か、何て言うんだろうか、まだ、世の中に知らない音楽がいっぱいあるってことをいつも思ってるから、それにいつもドキドキ出来てるって言うか。それが何か、いいですね。
 ■ アメリカに行ったりもしましたよね。
ヒサシ:あぁ、そうですね。それくらいにちょうど……アメリカとかに行って……うん、あれは楽しかったなあ。
 ■ それ以降はメジャーで出しつつも、その後に『PUNK★THE★DISCO』設立じゃないですか。そこは結構大きなターニングポイントだと思うんですけども。
ヒサシ:うん、まぁ、そうですね。その時はでも、バンド自体がすごい調子いい時だったから、それが救いだったかもしれない。やっぱ。で、そういう意味では、全然怖さがなかったっていうのはやっぱあるのかね。丸ちゃん(マネージャーの丸山氏)も一緒にやるって言ってるし、これは絶対面白いことになるなっていうのも、あったから。不安みたいのは全然なくて。とにかく調子よかったっていう。すごくいいのが出来そう、ていうのはあったし。……まあでも途中でナカヤンが「辞める」って言い出したのもあるんだけど。最後だから、まぁ、ちょっと今までやって来たことを、形になる、本当にいいものを作ろうっていうのもあったし、出来そうってのもあったんですよ。どっちもあったし。で結局、出来たなと思ってるし──ですね。『HIGH★SCHOOL★DISCO』は、頑張ったのかな。
 ■ 『HIGH★SCHOOL★DISCO』が出て、それからまた、『PUNK★THE★DISCO』のレーベルで何枚か出すわけですけれども、逆に、今までの数枚を振り返っていかがですか。
ヒサシ:うーん。まあでも、俺の中では『HIGH★SCHOOL★DISCO』は、1個の、まあ1個のって言うかわかんないけど、今までやって来たことが実になった、何曲かがあって、すごい特別なアルバムだなと思ってるんですけど、まぁ、ぶっちゃけその次のアルバム『EVERYBODY SAY IT'S ALL RIGHT』が、何曲か、それまでずっと、このスタイルで何かを1個掴むんだっていうところでやって来たのを、1回またバラして再構築して、で、また俺自身も、本当に普段から聴いてる音をどんどん幅を広げてきた時期でもあったし。──まぁ、常にそうっちゃそうなんだけどさ(笑)。今、レコーディングが、もう録り終えてるからそう思うっていうのもあるんだけど、今年出すアルバムのためにあった何枚かだったかなと思うな、今は。やっぱり、その流れがあったからこそ、大きく飛躍できる1枚になると思う。
 ■ 何かね、ヒサシさんとお目にかかって話をするじゃないですか、アルバムの時とかに。何かその季節、季節というか時期、時期というかね、何か流れはあるなあっていつも思うんですよね。
ヒサシ:その辺は、林さんにも言ったかもしれないんですけど、何も考えてなかったんですよ。「どういうことしよう」とか、あんま考えてなくて、とにかくやりたいのを何でもいいからやってみよう、みたいな感じで、やってたし。メンバーもね。モリオが入って、トモ君が入って。モリオは結局、何曲かしか形に出来なかったけど、トモ君が入ってから、この前のアルバムなんて、1日に1曲、バーンって「形にしちゃえ!」くらいのノリで形にしてったから──ライブでは全曲アレンジが違うみたいな事に、今、なってるんだけど(笑)。そういう、最初の青写真的なアルバムでもあったし、今までやって来た流れの中で、その、ジェリーリーっていうか──俺のバンドは、色んな音楽をどんどん、出来ようが出来まいが、とにかくやっていくんだって、そういう姿勢だと思うし、『EVERYBODY~』って。で、早くも次は1個、形にして見せてやったぞ、って言うアルバムになりそうだなっていう予感があるから──それが見えてるから思うけど、ちょうどそういう時期だったんだな、と。色んなことやってやろうという。
 ■ 前作っていうのは、結構洋楽へのオマージュ的な部分が強かったりとか、1回なんか、引き戻されたような感じはありますしね。
ヒサシ:うん、ずっとそうだと思うけど、まぁ──何でもやりたいんですよね(笑)ただその、俺が思う、ダンスミュージックっていう枠の中でだけども。そうじゃない音楽に、まるっきり興味ないから。家でも聴かないし。家でもまあ、聴かない、って言ったら嘘になるけど、別に、ボブ・ディランだって聴く訳だし、そういうのだって聴くけど。何か自分がやりたい音楽は、もうそういう事じゃないっていうのはわかってるから。バンドでやりたい音楽は。
 ■ アルバムがねTD段階に入っていて。どんな作品になりそうですか。
ヒサシ:うん、まあ──傑作ですよ(笑)。
 ■ (笑)伺ってます。
ヒサシ:確実に……完璧に、そうだな、「また、こっからだな」っていう次のステップ、もう、昔のアルバムで『SURF RIDE MONSTAR』っていうアルバムがあって、それって、俺らの『HIGH★SCHOOL★DISCO』までの活動の礎になったアルバムだと思うんだけど、そういうアルバムになると思う。次のアルバムは。
 ■ 最後に一言お伺いしたいんですが、ヒサシさんにとってジェリー・リー・ファントムってどんなバンドだと思いますか。何だと思いますか。
ヒサシ:そうですね……。何だろうなあ。(ちょっと沈黙して)わかんない。一言じゃうまく言えないけども──俺は、単純にいち音楽ファンとして、ジェリーリーみたいなバンドがいることが嬉しいし、いつも次に何してくれるのか、どういう曲を書いてくれるのか──変な言い方だけど、自分でも、俺自身がすごい楽しみにしてるっていうか。それは何でそう思えるかって言うと、俺だけで作ってないから。今なんて本当にそうだけど、今回、全く俺のワンマンなバンドじゃないっていうか。かと言って、変にみんなで譲り合って作ってる訳でもなくて、本当に4人でやってるから。自分でも、こういうのがやりたい、みたいなモードみたいなのはもちろんあるけど、自分でもどういう形に完成するのかって言うのをいつも楽しみにしながら、やれてるバンドだから、いつも、次にどんな曲が出来るのかなってのは、自分でも楽しみだし。まあ、そうですね、いちファンなんですよね。
 ■ 聴きたい音楽を作ってる感じですね。
ヒサシ:そうそうそう。もっとこういう曲……かける曲ねえんだよ、みてえな。DJで!(笑)あぁかける曲が……ここに何かこういう曲を、でもかける曲がないから、んー、──俺が作る!みたいな感じ。本当、DJでかけることばっか考えてる(笑)。もっと、みんなに聴いてほしいから、まだまだちょっと頑張んなきゃ(笑)みたいな感じはあるけど。
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